music-2 of 一軒屋

音楽。2本目。

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音楽について        三浦 豊



ジャンボくん、タスキを渡してくれて、ありがとう。

書くのが遅くなってしまって、ごめんなさい。



音楽について

聴いて感じたことを、言葉にする必要性を今まで感じたことがなかったから、はたして何を書いたらいいのか。数週間、頭の中で反芻していた。

自分の中の一番古い感覚の記憶は何かなあと思って、フラフラさまよいながら着地してみると、自分の寝ている布団の匂いだった。僕は太陽に干された心地よい布団に顔をうずめていた。

それと同じくらいに覚えているのが ー これは記憶をじっくりと辿ってみた時に自分でも驚いた ー 音楽だった。


僕の母が、たくさんたくさん、歌を歌ってくれた。

ずっと聞いてばかりだったけど、自分でも歌ってみたくなって、2才くらいのときに僕も母さんと一緒に歌いはじめた。二人でたくさんの歌を歌った。

母さんやたくさんの人々から愛情いっぱいに育ててもらって、注がれた愛情と歌は比例していたのだと、今振り返ってみて思う。

僕が今まで生きてきた中で ー といっても30年そこそこ ー いちばん心おだやかだった時間は、静かな昼下がりの我が家のリビングルームで、母と一緒に歌を歌った時かもしれない。

その母と歌った歌と太陽の匂いがする布団の肌触りが交錯して、僕の最古層の記憶は形成されている。



時が変わって、僕は東京の大学へ進学した。

専攻は建築意匠だったけど、あまりのめり込むことができなかった。

でも、これだけはやった!!と言い切ってもいいくらいにやりきったことが1つある。

それは、たくさんの音楽を、毎日毎日浴びるように聴いたことだ。

結局、人生で一番重要なことは、リズムと旋律とビートに乗りながら自分の方へやってきた。

洪水のように音楽を聴いていく中で、僕は「 巨人 」と呼ばれる人々と出会った。

彼らはじつに雄弁に、正しいことも、愛おしいことも、狂ったことも、超越したことも、爆音から微かなゆらぎまで、時には倍音も交えながら、僕に向かって語りかけてくれた。


彼らと出会えたことは、僕の人生を、徒歩からスキップへ変えたくらいに衝撃的な出来事だった。


僕が東京にいた時は1996年から2001年までの5年間で、その時はちょうど雨後のタケノコのようにクラブシーンに活気があった。

たくさんの才能が音楽へ流れていった。

いろんな人がいたけど、中でもジャイルス・ピーターソンという人は忘れ難い。
知ってる人はどれくらいいるかのな。

彼は今も現役のクラブDJでイギリス人。現在でも年に数回は来日している。

世界中の、ありとあらゆる音楽をDIGGIN'して(掘って)いる。
おそらく、世界で最もたくさんの音楽を聴いている人物の中の一人だろう。

いわゆる音楽を作曲する人ではないけど、ありとあらゆる音楽を、まるで魔法をかけたみたいに繋げていく。

今までの業績を讃えるとキリがないけど、例えばJAZZというジャンルをフロアーへ持ち込み、クラウド達が踊れるようにしたのはジャイルスの業績だ。

彼はイギリスのラジオで、WORLDWIDE というラジオ番組をしている。i tuneで無料でダウンロードできるから、興味のある人は是非。

クラシック、ジャズ、ロックンロール、ハウス、サルサ、ボサノバ、ルンバ、カリビアンビート、レゲエ、スカ、ダブ、ツーステップ、ドラムンベース、ダブステップ、

様々なジャンルを行き交うクロスオーバーという言葉ができてから、この言葉はじつによく使われる。ジャイルスはまさにクロスオーバーの権化のような人物だ。

もしかしたらモーツアルトみたいにサヴァン症候群なのかもしれない。

日常生活の中で、はたしてどのくらいの音楽を聴いているのだろう。

耳を澄まして音を聴く。空気の振動を細やかに察知する。
これほどセンシティブな行為を、たいした苦もなく長年続けられているのは尋常なことではない。

もしも、この業に「 苦 」というものが紛れ込んだら、音の精霊たちは、パッとあたりへ散らばって、たちまちどこか遠くへ飛び散ってしまうだろう。

どんなものを食べているんだろう。ベジタリアンかビーガンかもしれない。飲んでいるのは水だろう。ドラッグなんて論外だ。恋もたくさんしているにちがいない。

東京にいる時、彼のDJを何度かクラブのフロアーで体験したけど、まるで魔法にかかったみたいだった。そこには宗教的といってもいいような濃密な香りが漂っていた。
身のまわりの「 空気 」というものを、如実に認識できた数少ない機会だった。


ジャイルスは、たしかに巨人だ。

彼は今、ダブステップというビートに注目している。

最初にそのビートを聴いたとき、僕は、ついに、来る所まで来たという熱狂を覚えた。

そしてその晩、親しい友人と、人類は、これ以上にカッコイイリズムを、これから創り出すことができるのだろうか、夜通し語り合った。

早朝になって、吉野家の朝定食を一緒に食べながら、無理かもしれない。という結論に達した。


新しい、ということでは難しいのかもしれない。

でも

ジャイルスが全ての音楽に精通しているわけではないし、ワールドワイドという大風呂敷には必ず隙間ができる。

巨人が世界中をどれだけ飛び回って耳を澄ましていても、彼の耳に届いていない音世界は果てしなく広がっている。

僕にとって、その音の代表。なんで!!こんなに素晴らしいのに!!という音楽(というかジャンル)の筆頭は、日本歌謡だ。

クールネスとは程遠いと小馬鹿にする人がいるかもしれない。

でも、それを言う人は毎週土曜日の朝9時からNHKFMで放送している、世界快適音楽という番組を聴いてみてほしい。

ナビゲーターをGONTITIがつとめていて、この番組を聴いていると、時折紹介される日本歌謡が、ジャイルスも遠のいてしまうくらいに、世界中の名だたる巨人達と渡り合っている様を耳にすることだろう。

GONTITIの2人は大阪に住んでいる。木村充輝さんも、近藤房之介さんも、エゴラッピンの2人も、山本精一さんも、中山双葉も、大阪に住んでいる。

巨人だらけが住む街というのは、どんなふうになるんだろう。特撮セットの中のゴジラみたいに、ズシーン、ズシーン、と、地響きが絶えず響きわたっているのだろうか。

ジャイルスはたしかにすごい。すばらしい。疑問の余地無くグレートの極点にいる。

でも、フォロワーに成り下がらないで、ざまあみろ、と思えている自分たちがうれしい。


ジャイルスがいかに、聴いた途端に鳥肌が波打つようなカッコイイ音楽を創作しても、日本の歌謡曲ほど、僕の体の中に沁み入ることはできない。

日本の歌謡は、僕にとって、そのまま、母さんと歌った、あの歌たちにつながっている。




私事だけど、2ヶ月前に、母さんのガンが再発した。

見つかった時はもう手遅れ、末期ガンだと家族の誰もが思った。

息を大きく吸って、吐く。何度やってみても、空気の中の酸素を肺に送り込めた気がしない。情けないくらいに気が動揺している自分がいた。

幼い頃から聴き慣れた歌が不協和音になり、変拍子のリズムに豹変し、僕は音楽を聴かなくなった。

京大病院へ行って検査をしてみると、ガンの転移が奇跡的なまでに進行していないことが分かって、母のガンは、戦って治療できるくらいのものだということが分かった。

心底、ほっとした。

それでも今回、母もいつかは死ぬということが分かった。その日はそれほど遠くない日に、やって来る。


月日を重ねるごとに、母と歌を歌った、あの穏やかで静かな昼下がりは遠のいて行く。


僕に子供ができたら、日本歌謡とジャイルスがミックスされた歌を子供に聴かせたいと、ふと思った。



さてさて、次は誰に繋げようかな。